浄土真宗の教えに基づく教育|筑紫女学園大学

仏教を知ろう

このページの言葉、仏教の教えによるものなんです。
筑紫女学園大学は浄土真宗の教えに基づく教育をしています。

  • よく説かれたことばも実行しないと実りはない
    どれだけ素晴らしいことばや教えに出会えたとしても、そこに説かれていることを自分から進んで実行しなければ、何ら変化も成長も生まれません。実行してこそよい結果へとつながっていくのです。
  • 他人に教えるとおりに自分でもやろう
    他人に対して、ああだこうだと教えたり指示することは簡単です。一方、教えようとしていることを自分でやってみたときに、そのとおりにできているでしょうか。自分でまず実行するか、その人と一緒にやってみてはどうでしょう。
  • 自分がしたこととしなかったことだけを見てごらん
    他人がしたことやできなかったことは、よく気が付きます。時にはそのことをきびしく批判することもありますね。でもちょっと待って。まずは自分がしたことやできなかったことをみてみましょう。自分は人に対し言っているようにできたでしょうか。
  • 楽しいことにも必ず終わりがある
    楽しいことをやっているとき、友達と過ごしているときこの時間がもっと続いてくれたらいいのにと思うことがあるでしょう。でも時は止まってくれない。すべてのものは過ぎ行き移り変わるのがこの世の事実だから。
  • 手渡されたものをたいせつに
    私たちは知らず知らずのうちに、周りの人たちから「たいせつなもの」を手渡されています。目標が叶った喜びのなかで、手渡されたもののおかげだと感じることがあるでしょう。大事な方を亡くした悲しみの中で、「たいせつなもの」を手渡されていたことに気がつくこともあります。それは、手渡されたものに、渡した方の願いが込められているから。
  • 怒ることをやめれば安らかに眠れ悩みが消える
    怒ったり怨んだりしていることがあると、思い出すたびにさらに怒りや怨みがわき上がってきます。そうなると夜も眠れず一層苦しみ悩むこととなります。怒りや怨みは捨ててこそ熄(や)む、というのがこの世の真理なのです。
  • 自分がその立場だったらどうだろう
    知らず知らずのうちに、人を傷つけることを言ってしまう、やってしまう。そのとき相手の人はどんな気持ちになるでしょう。戦争や災害で亡くなる人苦しむ人たちも、後を絶ちません。すべての人々にとっていのちは愛しく、かけがえのないものです。自分におきかえて考えてみてごらん。
  • 一歩踏み出す出遇いがかわる未来がかわる
    すべてのものごとは、原因(因)と条件(縁)が重なり合って起こり、あるいは滅すと見るのが仏教の「縁起」という教えです。つまり、条件(縁)が一つ変われば、結果も変わっていきます。人との出遇いもそうです。思い切って一歩踏み出したとき、予期せぬ出遇いが待っていて、新たな世界が広がることも。
  • 目的を知って目的に専念せよ
    悟りを得るというはっきりとした目的を知って、出家者は教えに従い修行にはげみます。学修においても、何を何のために学ぶのか、目的をはっきりとさせ、そのための手段方法をみつけ、やるべきことをきちんとやることが大切です。
  • ひとつひとつの出遇いに感謝
    わたしのいのちは、永いいのちの歴史のなかで私に届いたもの、限りがあるもの、誰とも代わってもらうことができないもの、無量のいのちのつながりと支えのなかで生かされているものです。そう知らされたとき、まわりのいのちや出遇いが有難く感じられます。
  • すべての生きものたちは幸せであれ
    気候変動やパンデミックそして戦争など、いのちを脅かす出来事がつぎつぎにおこり、私たちは予測がつかない不安な時代を生きています。でも今この瞬間も、すべての生きものたちが幸せに過ごすことができる社会を求め、多くの人々が自らを犠牲にしながら活動しています。その姿が、あなたのところに届いているでしょうか。
  • 弦は適度に張られてこそよい音を奏でる
    楽器の弦は、強く張りすぎると切れてしまいます。また、ゆるくてもよい音は出ません。弦はほどよく張られたときに、きれいな音色を響かせます。何事も頑張りすぎず、また怠けることなく適度の緊張をもって励んでみましょう。
  • 他人との出遇いが私との出遇いに
    自分のことは、自分が一番よく分かっていると思っています。でもそうでしょうか。仏教では、いちばん遇うのが難しいのは、この「私」だと説きます。多くの他人と交流し、たくさんの体験を重ねてみませんか。それが自分自身を映し出す鏡となって、「本当の私」(わが身の事実)との出遇いにつながるのです。
  • 種だけあっても芽はでてこない
    水・日光・土などいろいろな条件(縁)がそろい、縄文時代の遺跡で見つかったハスの実から発芽し、きれいなハスの花が咲きました。人間の努力も、たくさんの条件(縁)がそろってこそ実を結びます。いろんな花が咲くよう、多くのよきご縁を。
  • 挨拶をするのはお互いを認め合うため
    挨拶はとても大事なことだと言われています。ではなぜ?会話のきっかけとなるから、親しくなるためなど答えはいろいろあるでしょう。挨拶をするのは、「お互いの存在を認め合うため」と考えられませんか。ある小学生が答えてくれました。「ただいま!って言うのは、僕はここにいるよって分かってもらえるから」。
  • そばにいる人のことどれだけわかっているだろう
    将来、人の役に立つ仕事をしたい、国際的な活動に参加して困っている人のために働きたい、という希望を持っている人。その希望を実現するには、専門的な勉強も必要ですし、外国語を学ぶことも不可欠でしょう。でもその前に、そばにいる人のことをどれだけわかってあげられているかな、理解できているのかな、と確かめることから始めてみては。
  • 当たり前が拝まれる
    日頃は、人間に生まれ今生きてここにいることに特に感動を抱くことはないでしょう。でも大切な人を亡くしたり、災害やコロナ禍などにより突然平穏な生活が壊れた時、事故や病気で日常の生活が奪われた時、改めて普通に、当たり前に過ごしてきた毎日が有り難く思われます。「有り難う」の反対語は「当たり前」とも。仏教では、人間に生まれてきたことを、最も「有り難きこと」と受けとめます。
  • 居場所があることのうれしさありがたさ
    戦争のために故郷や母国という安住の居場所を離れねばならない人々、被災地や貧困と格差が拡大する社会において、居場所や生活の拠点を失い苦悩する人々がおられることを忘れてはなりません。生きていく上で、居場所があるということは、人々のいのちが救われていくということです。
  • おいしいものはみんなで食べよう
    おいしいものって、つい余計に食べたくなるし、ひとり占めしたくなりますね。でも、そのおいしさをひとりじゃなく、みんなで一緒に感じ合えたらどれだけ楽しいことでしょう。分け合うことは、物惜しむ心に勝つことにもつながります。
  • さわるふれるどう違う
    「さわる」とは、相手の気持ちを考えず、自分の思いを優先している行為。「ふれる」とは、相手の気持ちを大切にしながら 「ふれあう」ことへとつながる行為。「傷にさわる」と「傷にふれる」いうことから考えると、その違いがよく分かるのでは。(伊藤亜紗さんの言葉より)
  • どんなときもあなたを育ててくれる人がいる
    「あれしなさい、これしなさい」と、うるさく言われるといやになりませんか。ほっといてくれ、と反抗したくもなります。そんな時でも、きみのことを、いつも見ていて、信じて、育ててくださる人がいる。そういつだってきみは一人ぼっちではありません。(上広川保育園園歌より)
  • 私を受けとめてくれる人がいて
    恩とは、私にいただいている多くの恵みを知ること。私が今こうやって自分のやりたいことがやれ、目標に向かって頑張ることができるのも、私の存在をみとめ、私をしっかりと受けとめてくださる方々がおられるから。その恩を感じながら生きていきたいですね。
  • ゆたかな知識をもつ人に会うのは楽しい
    たくさんの知識をもっている人やいろんな経験を積み重ねてきた人の話を聞くと、もっといろんなことを知りたいな、自分もいつかそんな経験をしてみたいな、と心を動かされてしまいます。じっとしていられなくなるような思いへと誘ってくれる、そんな人との出会いは楽しいものです。
  • やったこと言ったこと恥ずかしいと思えるのは人間だけ
    人間と動物の違いはなんでしょう?と問われたらどう答えますか。人間は言葉で会話をする、火を使う、料理をする、道具を用いるなどいろいろと浮かんできますね。ブッダは、こうおっしゃいます。「自分の行いを振り返ってみて恥ずかしいと思えるのは人間だけである」と。
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